昭和51年11月07日 富永のぶよ十年祭



 まぁ不行き届きながら、只今無事に御霊祭終わらせて頂きました。本当に皆さんの真心一杯でのお祭りですから、お祭りがとても何というですかね、あの一つのリズムに乗って、あの事を成します様に、大変スム―ズにお祭りが仕えよかったのでございます。信心を頂いて信心者らしくなる。特にお道の信心を頂いて、金光様の御信者らしくなり、金光様の御信心らしく振舞える、特に合楽にご縁を頂いた方達は、またそこに合楽の合楽流というか、それが身に付いて、はあどこか違うと思いよったら、合楽の御信者さんじゃったなと、言うように変わって来た時、大体信心が一人前だと思うんです。
 もうそれから先は限りがないこと、もうきりがないです、生神を目指してというのですからね。けれども私はどうでも一つ、本当にらしく振舞うえる所まで信心を頂いて、それから先は限りなく又、あのおかげの世界、徳の世界、いわゆる光の世界を、や光輪の輪を広げていくというおかげになっていかなければなりません。
 これはね、今日もちょうど私が午後の奉仕、今日もう午後の奉仕をここの吉川の霊祭ですから、三時までにしなければなら、もうお願いしとったら、三時までここ一杯、ずうっとお参りが続いたです。そしてもう三時に私が立たせて頂く、もうところからもうすきっとこう、お参りが途絶えたような感じでした。
 そんなかに、あの今日始めてお参りされた方で、向こうから沢山支えておりますから、こちらからちらちら横目でこう見よる、はあ変わった人が参って来てるな、もうっ立ったりしやごんだりしとられる具合が、どうも普通の人ではないな、と私は思ったんです。そしてこの人は、なんかあの踊りかなんかなさる方だなと思ってた。そしたらやっぱりあの、藤間の名を頂いておられて、今度羽犬塚はいん塚に、そのあの稽古場を作られるというためのお礼のお参りでした。
 もう例えば踊りでも、こう稽古をさしてもろうて、名でもひとつ貰おうか、と言う位までなると、もう体全身からにじみ出て来るものがありますね。もう姿勢が違うんです、もう体の動かし方が違うんです。これはもう本当にそうです。もう所謂らしく振舞えるわけです。だかららしく振舞えるというまでが、やっぱ一人前だと思うんですね。
 これはもうほんとに、例えばあのここで、長い信心を、やはり、信者は信者らしく、一たび御本部行って、一年して帰ってまいりますとね、もう先生らしくなって帰ってくるから、不思議ですよ。やっぱ内容がでけてくるから、もちろんその内容というのは、限りないことですけれども、そういう意味でね、富永のおばあちゃまは、もうほんとに、もうたまがるくらいにらしゅうなられましたね。
 私は始め野口のお母さんが、お導きして見えたときに、あすこに暫くはまぁなんと陰鬱な、なんかいつも下を、こう下を向いたようにしてね、なんとなく淋しい感じの方が、とにかくあすこへね、段々しげしげとお参りになられる頃になってきたら、第一表情が変わられましたね。もう輝く何かこう、当時の椛目から合楽にかけて、通うて見えられる、その所謂らしゅうなられて、らしゅう振舞われるようになられたということです。
 あなた方もお気づきだったと思うんですけれども、この位あの表情が早く変わられた方はないと思いますね。何かそんな感じでしたよ。何かしらんこう下向いた感じのね、姿勢が、それがもうほんとに、もっにこやかに、もうとにかく、生き生きとして、お参りになっておった時分のことを、まあ今日は思わせて頂いて、今日ご神前で頂いたことが、只今のことでした。
 あのらしくね、あの振舞えるというところまで、信心を進めておったということであります。今日私霊神様で、御祈念、あの御挨拶もさせてもらってましたら、今ここにお花が活けてありますね。あのお花に、ひとつの発見を見た、発見したものがあったと。というのは、あのご承知でしょうけど、これはいつもあの、共励殿で大祭の時使うんですよね。してあの花器を上に、こう立体的に花を生けられますよね。
 でなかったら、前のほうに投げたような感じで生けられる、どげん思っても私はその花が、私は気に入らなかったです。もうあの、共励殿の花だけは気に入らなかったです。これは秋永のお母さんがいつも、あそこ受け持っておられますからね。なんと、ま花器を変えられたら良かろう、花器を小さくしたら良うはないか、と言うて、だから最近は小さい花器を使うでしょう。
 この花器を使ったらどうしても、私の気に入ったような花が入れられない。所が今日初めて私はその発見しましたんです。今日のこの花器がこんなでしょう。それに花がね、こう立体的でもなからなければ、前にしたでもなくて、横に入れてあるですね。もう私は、これは大発見ですよ。これをそばで見てごらんなさいませ。素晴らしいです。例えばこのこれを横に入れると言うような感じで入れておられるところへね、いわば、花器が生きてきたわけです。花が生きただけではいかんのです。
 今日の御霊のお祭りはね、その花器と花、花材を生かしたと言う感じですよ。御霊様を生かしただけではないです。ね、その奉仕をした皆さんも生きてきたと言う感じです。私は今日のそういう、あのお知らせを頂きましてね、はあ今日は御霊様も喜びであったけれども、皆さんも喜びであった。皆さんもここ、信心の何かを一歩前進された、そんな感じです。あのお茶をなさいます時がもう、私の心の中、最高潮でしたけれどもね。
 この頃から、お母さんの十年の式年のお届けがあるたんびんに、富永さんが感動される、はあなるほど、あれはそれこそ、親が子を思うて子が親を思う、親のことは子が、子のことは親が、これはもう当然のことなんだ、その当然のことだけれども、私は信心をさせて頂くものが、当然のこととしてなさる、だからご法事をするとか、年忌が来たら、こうするとかと言うことは、なら、親の霊祭を支えるとき、子として当たり前のこと、当然のことなんだ。
 けれども、あのそういう意味での、当然のことではなくて、御信者として、お信心を頂いておるものとして、当然のお祭りがでけたところに、私、富永さんのあの、参って見えるたんびんに感動があったのはそれだろうと思うんですよね。そういう感動が、私は今日はあの、お茶をなさる時に、私の心の中に最高潮にあの、感動いたしましたですね。これはね、親が子の事を、子が親のことを例えばご法事をするとか、年忌が来たら勤めごとするとか、これはもう当然のことです。
 けれども、信心を頂いておるものとして、そうしなければおられないという心なんです。今日のお祭りは。そうしなければおられない、いやそれが信心者としては、当然のことだと、例えば、なら、前に申しましたように、お道の信心らしさと言うか、その振る舞いと言うことがです、ね、段々ほんとのものへなっておいでられておるまあ、印だと思うた。そういう意味で神様に喜んでいただき、御霊様に喜んで頂き、また奉仕をされることになった、皆さんもまた、喜びであったと言うようなお祭り。
 先日から五、六日前、熊本の松村さんところの、奥さんの里のお母さんの霊祭、何十年祭じゃった、いやいや何年祭じゃった、やっぱ十年祭ですね、まぁ言うならば里で御仏事で、仏教のほうでしてありますからね、けれどもやっぱり、あの親先生の信心を頂いたら、あのここにおかげを、ここで頂かなければおれないわけ、もういうなら自分の里なんですからね、それで里のお母さんやら、おばさん方も皆ここに集まって頂いて、ほんと賑やかなあの、お祭りをされましたです。
 そん時私、神様の前、御霊様の前出て、あの御祈念させて頂かしてもらったら、あの浄土宗なんかでは繰出位牌というのを作るんです。仏壇の中に、お位牌がたくさん並んでいない、くりだしを全部一つの、こうお社のようなものの中に入れるわけですね、そしてくりだし、あの命日の順々にこうこう前に出しては、あの拝むというわけです、それをこう、観音開きになってこう開くやつ、それが頂いたんですね。
 はあ仏教で葬ってもあるし、仏教で年忌年忌もなさっておられるわけなんだけれども、それが私の目にはもう丁度、天岩戸のようなその、感じで頂くわけです。あのチカラオウノミコトですかね、天照大神さまが、あのお隠れになった時に、あれをあの開けられたという力持ちの、それを私がカイシしておる所を頂くんです。してこう観音開きですからね、片一方だけを開けて、だから片一方は、遺族のものが開けよと。
 最近ここで、これは私のギリギリの信心ですけれども、あの世は暗黒だということでね、もうあの世は暗黒、この世に私共生を受けておる間に、ほんとに光を頂き、光を持って行かなければ行けるところではないという事、ところがね、もうその、あちらに暗黒の世界に入って、もう中に閉めこまれてしまっておるけれども、もうそれが当たり前のように思てるわけですね。
 はあこの世ちゃこげん、真っ暗いところじゃったばいの、ぐらいなことなんですよ。御霊様がね。それになら私のいうなら、力でそこを開けた時に、光明が差し込んだ時のその感動というかですね、そして今度は、片一方が遺族によって開けられる時に、いうなら自由な安心な御霊、喜びの御霊、御霊としての働きのできれる御霊、としてのおかげの頂けれる過程をずっとあの、頂いたんですけれどね。
 ほんとにそういう意味で、ならお母さんの場合は、金光様の御信心をいただかれるようになって、人相、表情が言うならば、金光様の御信者らしい、合楽の御信者らしい、いうなら、雰囲気を持っておられて、あのお病気の時代、ときなんかでもね、ああしてお届けがあるたんびんに、もうほんとに喜び一杯で、あの、御用される富永さんを、に対して合掌して喜ばれておられたということを思い出させてもろうてから、信心が言うならわずかの間であったけれども、変わり方がじつにスムーズにね。
 もうそうですね、五,六回か、そのくらい参られる頃には、もう表情が変わられて、もう、あのくらい信心を頂く前と、でない時との、変わり方をなさった方は、珍しい、と思うくらいに変わられましたですね。そういういうならば、合楽の御信者らしい、雰囲気とか、又は振る舞いが出来られるほどしに、内容も変わっておられた。それがなら表情にも、態度にも表れておられたという、御霊様。
 しかもならこれは限りがないことですから、今日の喜びはなら又一段と、お祝詞の中にもあるように、御霊の位も一段と進む、というその実感をね、今日はあの今日の霊祭を奉仕させて頂いて、あの、私自身がおかげ頂きました。どんなに素晴らしい花を、どんなに素晴らしく生け上げても下の、花器がなら、今まであれを花器を使って生けた方が素人じゃないから、ほんと言うなら花も立派だし、生け方も立派だろうけれども、あの変わった花器に、そわなかったと言うことです。
 そしてこれはどういうわけだろうかと思うて、花器を変えろと言う位だったですけども、今日私は初めて発見した、ははぁこの花器には、こういうふうに入れなきゃいけないんだな、とこれから、そこに花器も生きることになり、花材も生きることになった。今日の御霊の祭りはそういうお祭りだったと思うですね。有り難うございました。